君と僕をつないだ線がどんな色だってずっと大切な運命に違いない

いなくなっちゃった、と、思った。
そして実際にいなくなっちゃった、自担が、仲田拡輝くんが。ひろちゃんが。

果たしてこの世の仲田担が何を知っていて知らなくていつ察したり気づかなかったりどのタイミングで抑えきれない不安や捨てきれない希望を抱きどうやって覚悟したか、は、わからないし、わりと何でもいいです。
少なくとも私は知らなかったし、最後に入った現場はひろちゃんのお誕生日である1/4のジャニアイだったけど何か察するなんてこと全くなかった。ただただ、ひろちゃんはいつものように最高にかわいくて「今日のひろちゃんがいちばん好き!」といつものように思った。観るたびに「今日のひろちゃんがいちばん!」と思わせてくれる、本当に本当に、かわいくてかっこよくてきれいで美しくてその場に対して誠実な、ウルトラ最高な自担なのです、ひろちゃんと言う子は。
2月10日配信の情報局動画にいなかった、2月13日収録の少クラにいなかった、2月15日発売のBRUTUSにいた(英国紳士かと誤解するくらいかっこよかった)、2月23日発売のMyojoにいなくてメンバー誰もそのことに触れていなかった、公式写真が売り切れて入荷予定は無いと言う情報が回ってきた(その後一回補充されたみたいだけど…最後の売り切れでちゃんとひろちゃんにキャッシュバックはあったのだろうか、スタバで本日のコーヒーくらい買えるかな)、そしてジャニーズ銀座2017のお知らせがあってTravis Japanの中にひろちゃんの名前は無かった。無かったのだ。所属していたはずのユニットにその名前がなかった。その瞬間に、ずーっと、ずっと、こんなのは状況証拠だ、決定打なんかじゃないと思っていたすべてが「そう」でしかないと悟って…悟るって変かな、もうそうなんだなって、そうだ、諦めました。私はその日諦めたんです。まだ諦めた、と、言うべきじゃないと歯を食いしばって、それでも。
3月1日に答えが出るとはあまり信じていませんでした。そんなきれいに、2月28日付で辞めました、3月1日からもういません、だからプロフィールも消えます、だなんて。そんなきちんとするなんて。したけど。すんなよ。いやでも、一見そうは思えなくても恐らくきちんとしたことが好きなのだろうなって(私の想像だけど)ひろちゃんらしいと言えばらしいのかな。わからないけど。

何を思い返しても楽しくてうれしくて大好きでとびっきりの正解しかない。いつだってひろちゃんが見せてくれるものは私にとって正解に満ちていた。あの夏の日に青山劇場の板の上で踊るひろちゃんを観た時から、ずっとずっと、最後に観たジャニアイだってもちろんそうだった。ふわり、ときれいに笑った顔、安定した下半身と柔らかい肩を中心に滑らかに美しく何よりも楽しそうに踊る姿、台詞を言う時のパン、と通るきれいな声とそうじゃなくて喋る時のちょっとぺたっとした声、常に貪欲に演技を楽しむ姿勢、品のある佇まい、静かな瞳の色、すぐ後ろに下がっちゃうところ、内弁慶なところ、後輩力はあんまりないところ、甘えさせてくれる人にはわりとしっかり甘えるところ、かと思えばいつの間にか年若い、小さなJr.から慕われていたところ、瞬発力があるんだかないんだかわからないところ、プライドが高いところ、意外と負けん気が強いところ、やさしいけど気難しくて、何でもできるのに手先が不器用で、ドライに見えて一度懐に入れた人をとことん大事にするところ、とても器用で実は不器用で、何考えてるのかよくわからないと今でも思うけど内に秘めた熱いものをたまに見せてくれるところ、ほら、大好きしかない。ひろちゃんのことが大好きだ。変わらず、今日も、今も大好きしかない。
大好きだから、だから、さびしい。とてもさびしい。もういないなんてそんなのいやだ、さびしい。何でいないの、いつ決めたの、どこへ行ったの、その答えはきっと知ることはできないし知らなくていい、今までたくさんたくさん正解を見せてくれたひろちゃんが選んだことが大正解以外の何だって言うんだ。ぜったい正しいのだ、ひろちゃんが決めたことなら。だけど、ただ、いないことが、いなくなってしまったことが、もう見られないかもしれないことが、あまりにもさびしくて、そしてふつり、と、ずっと続いていた世界が終わるのを実感しました。

楽しかった、ひろちゃん担になってからずっと楽しかった。夏は暑くて秋に台風が来て新幹線に13時間閉じ込められて冬は荷物がかさばって全てのウィルスを呪って春には服選びに失敗したりした。踊るひろちゃんをたくさん観た、どんなに変な髪型でもじゃあ観ないなんて選択肢なかった、だけど文句はたくさん言った、かわいかった、おもしろかった、かっこよかった、きれいだった、愉快だった、楽しそうだった、笑っていた。ドラマもうれしかったし、いると思っていた場所にいなかった時には泣いたし、舞台が決まった時には叫んだ。自分の名前を覚えてほしいと大きな声で「なかだひろき!」と言った夏と、自分のアンダーをしてくださった役者さんのお話ばかりしていた夏。いろんな場所へ行った。夏と冬の青山劇場、ぐるっと巡った日生劇場、何度も心で爆破したけど何度でもしがみついたシアタークリエ、駆け抜けた新国立劇場にピロティにキャナルシティ、まさかの名古屋ドームに京セラドームにヤフオクドーム、横アリとEXシアター、宝物になった博品館に帝国劇場。いつだってどこだってひろちゃんはひろちゃんだったから、いつだってどこだって楽しくて愛しく仕方ない時間だった。
4年弱、3年半、かな。短い、あまりにも短いね、まだまだド新規だったのに少しずつ積み重ねられることがうれしかったのに。
Jr.だから、「目の前今しか信じない」と思いながらひろちゃんを見てきたけど、目の前の今を全部信じさせてくれた。「今」しかないと思いながら、それでも何度でも未来を、この先を願った。「今」を「これから」に繋げられる子だと信じた。今も信じている。だからきっとひろちゃんなら何を選んだとしても行きたい場所へ行ける。同じようなことを何度でも言葉にしてしまうけど、心からそう願って、信じています。


最後の現場がジャニアイでよかったな、と思っています。なぜなら大好きなひろちゃんがそこにいたから。楽しそうに踊って笑ってきれいな姿勢でそこに立ってたくさんの人から愛されてるひろちゃんがそこにいたから。でもきっと、結果的に最後の現場が何であっても私は「そこでよかった」と思うのだろうな、とも思います。コンテンツが何であろうと、そのコンテンツ自体を愛せるかどうかは別の話として、そこにいるひろちゃんのことを絶対に大好きだと思わせてくれるに決まってるから。だから、私は私が観た最高に素敵な景色を大切に信じます。

いなくなるのは、さびしい。もう二度とJr.担なんてしたくないけどもう一度二度、いや何度でもひろちゃん担をしたいな。もう一回踊る姿に心掴まれて「この子だ!」って強く思って好きになれるなんて最高じゃないですか。何度繰り返しても同じ2017年の2月10日を、2月23日を、そして3月1日を迎えるとしても、ひろちゃん担でいられるなら何度だってやりたい。思いっきり大好きだって言ってかわいいかわいいって突っ伏して楽しかったって笑っていたい。どうしても一つのお仕事が終わる度に次はどうなるのか心配で仕方なかったところも大いにあったので、タイムリープしたら次は何だろうって明るいことばかり考えてひたすら楽しみにしていたい。できるかな。多分できないけど笑。

ひろちゃんを好きになってよかった。会えてよかった。他の誰かじゃなかった。ひろちゃん担になってよかった。最高に楽しくて、ちょっと苦しくて、だけど全部全部愛しかった。幸せだった。超幸せだった。もちろん今も。
願うまでもなく、しあわせになれる人だと思っています。だけど最後に、これが最後だからもう一度だけ願わせてほしい。


しあわせでいて、笑っていて、後悔しないで、愛されていて、元気で、元気でいてね。


ありがとう、たくさんたくさんありがとう。大好き。
バイバイ。