12月30日。

今年も残すところ後一日になって、とりあえずこれだけは、と思って紅白〜カウコンの間に飲むためのお酒を買いにスーパーに行ったりしました。いや決して酒を買うことが「これだけは」と言う程大切なことだとは思っていない、多分。
2013年は穏やかに、もっと言えばおとなしく、それはもうおとなしく過ごそうと思っていたのだけど何が起こるか本当にわかったものじゃないなあと言う一年でした。でも実はこんなに大きな変化があったのに全くしみじみしていない。振り返ってしみじみするには短すぎるし、私の中に積み重なったものがあまりにも少ない。そして何より、過去を振り返って咀嚼するよりも、未来を思って立ち眩むよりも、今が、今しかないのだなあと、そんな風に思うからなのかもしれません。
拡輝くんて子は、紛れもなく私にとってウルトラ最高な自担だなあと思います。でも何にどう惹かれたのか、何を思って拡輝担になろうと決意したのか、これ!と言うハイライトを決めることが難しくもある。私は私の友達が、好きな人たちが、どんな風にその人の好きな子を好きになったのかを、何かが動いた瞬間を、きっかけを聞かせてもらうのが大好きな、もう一部ではただのきっかけおばさんとして名を馳せるくらいに大好きな人なのだけど、それを自分に問うてみると、拡輝くんて子は何と、派手なきっかけも決定的な瞬間も、後から何度も何度も思い出すはずの一瞬も与えずここまで連れて来てくれたことよ、と驚いてしまう。でも逆に言えば、小さな一つ一つが全て私の中であまりにもしっくりきて、全てがきっかけで決定打で何一つ取り零す気になれない一瞬なのかもしれない、とも思う。かわいらしい子だと思ったことも、かわいらしいと言う記憶と共に雑誌を開いたら髪型がモンチッチみたいになってて思わず笑ったことも、繰り返し見たDVDも、バナナもピン留めも、ひたすらワクワクして足を踏み入れた青劇も、知らず探してしまった視線の先にいた踊る姿も、安定した下半身と滑らかで重く、でもどこまでも美しい動きも、軌跡がいつまでも残るようなダンスも、個を消している時も、消すことなくその場に曲に溶け込んでいる時も、日生劇場も、もっともっと知りたくていろんなこと知ろうとした結果何てよくわからない子だと笑えたことも、そんなことどうでもいいくらいひたすら踊るひろきくんに満たされたことも、公式のお写真が毎回毎回かわゆくて楽しくてふくふくに満たされることも、全部、これで全部じゃないけどでも全部が大きくて重くてそれ以上に何だか明るくてカラッとしていて、愉快で掴みどころがなくて愛しい。拡輝くんについて、とても美しく踊る子で、頭が良くて楽しくて愉快で好かれてて、でも想像の余地をほとんど与えてくれないするっとした子で、あとは妙な柄のTシャツが似合うってことくらいしか思いつかないけど、それでもそのステージを見る度にびっくりするくらいの幸せをくれる、ウルトラ最高の自担だってことがわかる。この子でよかった。この子だった。自担の未来を悲観するつもりはないけど私の未来を少しだけ憂うならば、この確信をいつか恨めしく思う日がもしかしたら来るかもしれない。その時はこの頭ゆるゆるの、1月が楽しみで仕方ない、少ない語彙を懸命に並べてただただひろきくんのことが好きだと言う私を振り返ったらいいと思う。今が必ずしも未来に繋がらなくていいけど、今がもしかしたら未来を支えるかもしれない何かになればいいと思う。

PLAYZONE IN NISSAYまで10日を切ったのかな、武者震いと付き合いながら、2013年が終わろうとしています。