ドリアン・グレイの肖像大千穐楽おめでとうございました。

9月6日12:30公演をもってドリアン・グレイの肖像が大千穐楽を迎えました。もう一週間、まだ一週間。東京では千穐楽に向けて金曜日からの3日間の公演を観たのだけど、それが始まるまで、私はうっとうしいオタク全開のアレでいろいろ、いろんなことを考えていて、さてはてどうしようと思っていました。

でも再び足を踏み入れた新国立劇場には、笑ってしまうくらいに正解が手を広げて待っていました。

千穐楽、一幕のシビルとジムのピクニックの場面。東京凱旋公演は4日から観ていたのだけど、ヴェイン姉弟の距離がぐっと縮まったように思えました。福岡では公演によってジムへの解釈を変えているのかな?と思ったけど、東京ではそこはもうほぼ一貫していて、ジムはシビルのことが何よりも大切で大好きで、だから「新しいお友達」ができて、それを教えてもらえなくて、名前も知らないようなお金持ちに夢中になっている危うい姉から遠く離れないといけないことがもどかしくて、「どうして教えてくれなかったんだ」はいきなり激昂する感ではなくて、悔しそうに悲しそうに、ただ怒りっぽいと言うよりも感受性の強い(それが怒りに振り切れた時がより大きい)子に、ああ、ジムが着地したんだなあと思いました。別の言い方をすれば、最初から最後まできちんと同じ場所に着地した演技の方がきっとすばらしくて称賛に値するとは思います。それでも一公演一公演、それこそ姉さんと一緒に、このジムを、ヴェイン姉弟を育てて作り上げて、大事に大事に演じてきたのだと思うと本当に愛しくて。千穐楽のヴェイン姉弟、シビルがふわっとさせたシートを受け取るジムはにこにこ笑顔で、目の前の姉さんといられるのがうれしくて、離れることを実感しながらだんだんと曇っていく表情、「どうして言ってくれなかったんだ」は泣きそうなトーン、「殺してやれるから」「顔なんてわからなくたって、姉さんを不幸にしたらどんな手を使っても殺してやる」は抑えきれない思いがどんどん言葉になって溢れているようで、「本当に怒りっぽい子ね」ってシビルが腕を撫でる時、頭も撫でて。5日のマチネもかなり感受性強いジムだったので「怒りっぽい子ね」の時にも頭も撫でていたのだけど、千穐楽公演でも腕と頭を撫でて寄り添って、そう、ずっと寄り添って生きていたんだなあって、守りたくて守りたくていつもぐっと力を入れていたジムを、シビルはこうしてやさしく宥めながら逆に守っていたのかなあって、もちろん妄想だけど、この姉弟が生きてきた何かが伝わるようで、そして最後が!ハイドパークを探検しましょうって言われて「ここは好きじゃない」って反抗するジムに「いいから!」って腕組んではける場面、姉弟でシートの引っ張り合いして「んー!!」ってなっててそれがあまりにもかわいくて!短い場面の中に凝縮された愛とお互いへの思いと、悲しい未来なんて嘘だろうと言いたくなるくらいのあまりにも自然な姉弟、何公演も観たけど、何度も何度もその場面を愛しく思ったけど、私は私が観た中で9月6日のピクニックが一番好きでした。2人がはけた瞬間、溢れた涙があまりにも自分らしくなくておもしろくて、でも本当に幸せで、ああ、よかったねって。きっと試行錯誤を繰り返した、かもしれないこの場面が、台詞の一つ一つが、表情が、立ち振る舞いの全てが、これからに繋がっていくと、馬鹿みたいに信じられました。
十字架を背負うところは福岡辺りから非常に安定していて、泣きそうで涙を目に溜めて血を吐くように叫んで、最後はもう瞳は真っ暗にはならず、復讐を決意して一気に大人になった瞬間に。「お前の愛が失せた時、お前の命も失せたのだと」はとても印象的な台詞で、その言い方も表情もとても良くて、ひろきくんの大きな見せ場だったんですよね。ひろきくんの発声の良さがとことん活かされているような、とても力を持った場面だったと思います。そして最後に向けてどんどん良くなったのが「姉さん!」の叫び方。本当に良くなったなあって、流れの中の台詞の一つではなくて、身体中から絞り出すように、最後の「姉さん!」は本当に胸が痛くなった。
二幕の阿片窟の場面、「プリンスチャーミングだと!?」って立ち上がるところで、凱旋公演では「…はは、」って安堵さえ感じさせるくらいの力無い薄い笑みを零していて、復讐のために生きてきた18年間、を、そこに見たように思いました。とても、良い表情でした。阿片窟の場面は激しいこともあってわりと最初から安定していたように思います。お前はここで死ぬのだから、で、ドリアンの肩に顎を置いて顔を近づけるようにしたのはより狂気を感じられて良かったし、あと死に方がだんだん苦しそうになっていって上手くなったなあって…ほぼ白目剥いてたし…。私は阿片窟でのジムの寝転び方がとても好きでした。友達が「押し入れで寝ているドラえもんみたいだね」って言うから余計にかわいく見えて大変だったんだけど笑、あのだらん、と、でも丸まって寝ている背中がとても、とても好きで、愛しくて。そう、寝転び方一つ、表情、喋り方と声、驚くほど顔色の悪いメイク、少しフラついた動き、どうやったって素直な気質とそれが仇となってしまった最期、頭悪そうな感想でしかないけど、全て良かった。本当に良かった。
全て終わってカーテンコール、いつものように笑顔で真ん中へ走り出て来たひろきくん、を、包むような大きな大きな拍手、びっくりするくらい響くそれが、あの子に届いていたらいいと願いました。キャスト全員の挨拶の中、山崎さんの挨拶に乗っかってにこにこしている姿がカンパニーの末っ子だなあと言う感じでかわいくて(実際に熊澤さんが一番年下なのだけど)、喉の調子が悪かった時に舞羽さんはじめ徳山さんにもすんらさんにもいろんな人に喉シュッシュするやつとか飴をもらったって、カンパニーの皆さんひろちゃんに飴与えすぎで泣いて笑ったけどそれをうれしそうに話すひろちゃんがかわいがられていたことがわかってうれしくて、また演者の皆さんと共演できるようにって前を向くひろちゃんが愛しくて、最後にぼくの名前を覚えて帰ってくださいって、そこにいる観客は「ドリアン・グレイの肖像」を観に来たお客さんで全員が、多くの人が自分を知らないかもしれないってそんな環境でひろちゃんが演じられたことも、それを冷静にわかって、そして覚えてもらおうってしたことがうれしくて、明るいステージの上で、堂々と晴れやかに笑って、ああ、ひろちゃんはひろちゃんなんだなって、「なかだひろき!」って言い切った時の「ふん!」って顔とかすごくひろちゃんだったし笑、ひろちゃんなんだねえって、ひたすらうれしかった。
すんらさんが、ブログにひろちゃんのことを書いてくだっていました。学ぶ姿勢と初心の大切さを教えてくれた、と。(ちなみに毎公演カーテンコールで微笑み合うすんらさんとひろちゃん、千穐楽はえっほえっほ走るすんらさんの背中を押すひろちゃん、腕でうりうりし合うすんらさんとひろちゃんが泣けるほどかわいかった)
舞羽さんが、千穐楽から一夜明けたツイッターで「可愛いジム」と、「ヴェイン兄弟は今日からバラバラだけどヒロキング応援してる!」と、書いてくださいました。(ちなみに千穐楽の挨拶で「ヒロキングって呼んでるんです♪」って笑う舞羽さんと「ねー?」って感じで舞羽さんの方を見るひろちゃんが劇的にかわいかった)
熊澤さんのブログには、同世代の優馬くんやひろきんぐ(カンパニーに浸透しているひろきんぐ呼びかわいい)がどんどん良くなっていくのが悔しいくらいだったと、書かれていました。
ひろちゃんがの人柄や気質もきっと大きかったのだろうけど、誰かに、周りに伝わるひたむきさは、ひたすらがんばってがんばって、挑んで、それを続けたからこそだと思います。それを誇りに、自信に、そしてまた一つの大きなステップにしてほしいと思います。それにしても「可愛いジム」には全てが集約されていて、繰り返し繰り返し読みながら何度でも胸がぎゅうっとなります。ジムとシビル、ひろちゃんと舞羽さんが演じて一緒に築いた、もちろん舞羽さんがたくさん導いてくださって、ひろちゃんとしてもジムとしても目一杯応えてきたのであろう、その全てが詰め込まれているようで、上手く言えないけど本当に本当にうれしかった。

凱旋公演が始まる前に、もっと他にも好きな子を見つけたかったんです。だって秋以降どうしたらいいかわからないから…(ひどい理由)。わからない先のことを憂いて今を見る目が曇ってしまうのはもったいないとわかってはいても、どうしてもこの先どうにもしんどいだろうって。だけどまあ探してないので見つからなかった。そりゃそうだ。何が起こるかわからないし、予測不能なことが起こったからこそ私は今ここにいるのだし、人は変わるし自分が変わらない自信なんて全くない。じゃあ、ここでいいんだなと、ここにいたいなって、この子が最後がいいなって、公演が始まる少し前にはすっかりそんな気持ちになってしまっていたので私はもうあまり悩まない方がいい。向いていない。
いろんな人が観てくれていたらいいなと、いろんな人が板の上のひろちゃんにマルをつけてくれたらいいなって、マルじゃなくてもどんな記号でも、それらがたくさん集まって次へ繋がる道になったらいいなって、願ってやみません。そう、誰に笑われたって、自分で自分の首を絞めることになったって、どうしても「次」を、「これから」を、ひろちゃんの「未来」を願いたくなる、願わずにはいられない、そんな夏でした。

なかだひろきくん、「ドリアン・グレイの肖像」お疲れ様でした。この先何度でも何度でも、板の上のあなたを観たいと強く思いました。この夏がいつかの未来で大事に語られるようなものになればいいな、ひろちゃんとジムと共に駆け抜けた2015年の夏も、最高の夏でした。おめでとうありがとう、そしてこれからも何度でもこの言葉をあなたに向かって叫べますように。